飯岡からの帰りの車で。
わたし「ほんと、もうね、なずなの気持ちにすごく共感するよ。親への反発っていうか、自分には意思決定権がないことへの不満っていうか。どっちの結末でも転校するのは変わらないかもしれないけど、典道を選んだルートだとさ、ほんとは叶いっこない『かけおちごっこ』で少しでも心が満たされたんだよね」
旦那「まあ、そうかもしれないね」
わたし「だからさ、同じ転校って結末でも、その後の人生が変わったと思う。未練を残してしまうのと、『ごっこ』でもいいから好きな子とかけおちしてみるのとでは。世の中ってさ『気が済む』のと『気が済まない』のとでは、その後が大いに違ってくるんだしさ」
旦那「でもなあ……典道としては、結構なトラウマになったと思うぜ」
わたし「ト、トラウマ?」
旦那「だって、夏休みが明けたら、なずながいなくなってんだぜ。好きな子に、あんなに振り回されて、訳も分からず付き合わされて。それでも何だかんだで楽しかったかもしれないけど、そうであればあるほど、転校の事実を知ったらトラウマになるかもしれないぞ」
わたし「あ……あそ? そっかあ……」
旦那「いわば、なずなは『身勝手の権化』みたいなもんだ」
わたし「い〜〜〜!? そ、そこまで言う!?」
旦那「なずなはそれで気が済んだろうけど、典道はどうだろうな。おまけに『今度会えるの二学期だね』なんてセリフを残して去ってくんだし」
わたし「う〜ん、なるほど……」
旦那「だいたい女は、自分の都合で男を振り回すだけ振り回して、男の気持ちとか考えないでいたりさ。なずなの行動に、典道の気持ちなんて見受けられないだろ? 得てして女ってそういうとこあると思う。付き合わされる男の身にもなってみろよ、と思うぞ」
わたし「そそそ、そっか……」
そういう解釈をしたことは、今までにありませんでした。
『打ち上げ花火』は、とても文学的な作品だと思っていて(それは岩井俊二監督のどの作品にも言えますが)、
見る人によってそれぞれの解釈や感じ方があって、そこに文学的余韻が生じ、だからわたしはずっと好きなんですよね。
わたしはやっぱりなずな視点で見て、どうあがいても親の支配下にいるしかない子供で、自分に意思決定権がない中で、たとえ泡沫の夢と承知しつつも、少しでもその状況に抗ってみて行動してみた、という点にすごく共感しました。
もちろん、それもわたしなりの解釈にすぎませんけどね。
それにしても、そっか……『身勝手の権化』かあ……。
思いがけない解釈に、ちょっとびっくりした、というお話でしたー!
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